肉弾 岡本喜八 [映画]

太平洋戦争中の男子の平均寿命は46.9歳。
昭和43年が68.5歳。23年間で21.6歳も寿命が伸びている。
いかに戦争が、人の命を奪うものなのかがよくわかる。

「あいつ」は21歳6ヶ月。
岡本喜八監督は戦争を経験し、「あいつ」と同じような時期に生きていた人である。
だからこそ、「あいつ」が考えたこと、感じたことを、みんなに伝えたかったに違いない。

この映画、因数分解がとても重要な小道具になっている。
二人が、雨の中出会うシーンも、(大谷直子がなんと初々しく美しかったことか!)
また、「うさぎ」が死んだことを知ったシーンも
「あいつ」は念仏のように一生懸命に因数分解を唱えている。

自分は幸い愛する人を亡くした経験がない。
だから
「兄ちゃんはやきいものようにやけただよ。
おねえちゃん(「うさぎ」のこと)は蝋人形のようになって死んだだよ」
と聞いたとき、それを受け入れたくない、
受け入れることができないという「あいつ」の状態は想像することしかできない。

「おれは「うさぎ」のために死ねる」と叫ぶシーンがある。
自分の命が自分の命でなく、もうすでに死ぬことが決まっている人間が、
自分の死を納得するためには、そんな大儀名目が必要だったのだろう。
それがなければ、死んでも死にきれなかったことだろう。

そして、それは、この映画での話だけでなく、
若くして散っていった多くの若者の思いではなかったのか。
知覧の特攻基地を訪れたことがある。
まさに「あいつ」(と同世代の若者たち)が、手紙を残し、生きていた証をのこしていた。

「あいつ」は「うさぎのバカやろー」と叫ぶ。
「うさぎ、なぜ死んじまったんだ」ではなく「死んじまってバカやろー」だ。

「うさぎ」の死によって、「あいつ」は守るべきものは何にもなくなってしまう。
残ったのは、仇(かたき)を討つという「思い」だけだ。

そして、その仇を討つべき、「あいつ」の持つ唯一の武器「魚雷」は
発射したと同時に海の底にぶくぶくと沈んでいく。
そのこっけいさと切なさ。

時代は変わって、昭和43年。
当時、最先端の新しいファッションは、平成の今となっては大昔の産物だ。
この映画が作られて42年という年月がたっている。

ジェットスキーがターンする樽の中で、
「うさぎのバカやろー」と叫んでいる「あいつ」の姿は、あまりに衝撃的だ。

私がこの映画を見たのは17歳の時である。
この時期に見たからこそ、未だに、この映画が自分にとっての一番であり続けるのだと思う。
そして、(たぶん)私にとって、この映画を越える映画が存在することは永遠にないだろう。

古本屋の両手のないおじいちゃん(笠智衆)や観音様のおばあちゃん(北村栄)とのやりとりのあと
「あいつ」は胸がいっぱいになって走って出ていく。
私にはその気持ちがとてもよくわかる。
たぶん、それは私が初めてこの映画を見たときに17歳だったことと、無縁ではないと思う。

可能であれば、あなたの愛する人守りたい人と一緒に見てほしい。
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