her 世界でひとつの彼女 [映画]

OSと恋をする人(セオドア)の話。

この恋を肯定的に表現するのか、それとも否定的に表現するのか。
相手がOSというたかがプログラムではあっても、その純粋さ故にその人(?)を大切に思う気持ちは変わらないと言いたいのか。それもと、やっぱり血の通った人間との愛こそが本物だと言いたいのか。
いったいどっちなんだろう、と思いつつ見る。

そして、そのどちらでもない終わり方に、なにか物足りなさを感じながら見終えた。
・・・つもりだった。

しかし、エンドクレジットで「The moon song」が流れてきて、その日本語訳が画面に映ったとき、目頭が熱くなった。どっとあふれてきたような感情だった。

過去の恋人(キャサリン)への感謝の手紙。OSの彼女(サマンサ)との寂しい別れ。未来の恋人(?)(エイミー)との距離感。すべての恋人たちを肯定もせず、否定もせず、そのまま受け入れたような映画の終わり方があったからこその感動だったのだと感じた。


本筋とは別のところで思ったこと3つ。

・OSの恋人を怒らせたらまずいだろうなあ、と思ったこと。
自分のファイルを勝手に削除されたり、手を入れられたり、そんなことがあたりまえにされそう。
こわい。

・もうひとつ、友達とその恋人と、4人(?)で旅行に行くのだが、友達とその恋人はOSが恋人であっても、ちっとも気にしていなかった。なんかとてもよかった。

・さらにもうひとつ。サマンサが「どこか」へ行ってしまうのだが、「カモメのジョナサン」のジョナサンが行った世界と重なって感じてしまった。

人を好きになるっていいことだな、と思えた映画だった。
人を好きになったことがある人はきっと誰もが、この最後の「The moon song」を聞いて、目頭が熱くなることだろう。

ゴジラ(2014) [映画]

ゴジラが「怪獣」ではなくて、ただの「大きな動物」に見えてしまう。
もちろん、ハリウッド1作目と比べれば、たしかに本物の(?)ゴジラに近づいた気はするのだが・・・・。

アフリカのサバンナで、象やキリンの群れを見たことがある。
動物園では巨大な生物に見える象やキリンは、大きな自然の中では、ほんとうにちっぽけな「ただの動物」だった。
同様のことはゴジラにも言えて、600mを超すようなタワーがある東京で、たった100mくらいのゴジラは、思うほど巨大な存在ではない気がする。

監督は日本版ゴジラに愛着のある人なのだろう。日本版ゴジラにリスペクトをもって本作を作ったこともよくわかる。
しかし・・・なんですよねえ。
実際に日本で育ち(たいしてゴジラの映画自体は見ていなくても)、ウルトラマンシリーズなどで「怪獣」を見慣れた日本人にとっては、やっぱりこの映画のゴジラは「怪獣」ではなく「大きな動物」でしかないんですよね。
監督には申し訳ないが、これが(日本人ではなかった)監督の限界だったのかもしれない。

ムートーという怪獣(?)がでている。いろんな電波を邪魔したりして、この映画ではまちがいなく「悪役」「敵役」なのだが、夫婦で卵を守ろうとするムートーが一方的に悪者役になっているのは、なんかかわいそうだった。
特に、自分たちの子ども(卵)が焼き殺されるシーンは、「そりゃ、怒って当たり前だ」と感じてしまう。

ストーリーはなんと言っていいのか・・・。
テレビでなんか骨のある話のようにあおっていたが、たいしてそんな思いも感じることはできなかった。

でも、まあ、暴れるゴジラは少し魅力的です。
でも、やっぱり、私たちの「ゴジラ」じゃないんですよね。

偉大なる、しゅららぽん [映画]

見てきました。

で・・・・

うーん。
「鹿男あをによし」って、いい作品だったんだなあと実感。

監督のせいかな?

永遠の0 [映画]

岡田准一主演の話題の映画。

本を読んで、とてもよかったので、映画になると聞いた時、
不安半分、楽しみ半分で待っていた。
で、初日。
レイトショーで見たのだが、けっこう人が多い。

(ラストシーン以外の)岡田准一、吹石一恵、山本学、零戦の戦闘シーンなどがよかった。
逆に、それ以外は・・・

もちろん、悪い映画ではない。
しかし、音楽や脚本があまりにも感動をもりあげようとして(?)、逆に、小説のもっていた感動をそいでいた。
さらっとした感じ、とまでは言わないが、もう少し、押さえた表現で演出してほしかった。

また、小説では充分にページをかけて説明ができたことが、(かなり長い上映時間とはいえ)映画では説明不足になってしまっていた。

ラストシーンの岡田さんの表情は、どうしても納得できるものではなかった。
脚本では「静かに澄みきり、微笑みすら浮かべている」とあるそうだが、
微笑みではなく、にやにや笑い(というといいすぎだが)にしか見えなかった。
本人も死ぬのではあるが、敵艦には奥さんや子ども、あるいは年老いた両親をもっているであろう「人間」がたくさん乗っているのである。
あれほど、奥さんや子どものことを思っていた宮部久蔵が、これから道連れにする敵(人間)のことを考えなかったとは思えない。

あの表情、もう少しどうにかならなかったものか。
さらに、その直後、「永遠の0」の文字が大写しで現れたのには閉口した。

さんざんなことを書いたが、それほど悪い映画ではない。
というか、充分に見る価値はある。

ただ、本を読んだときには、あれだけこみあげたきたものが、この映画ではほとんとなく、
また、見終わった観客の誰も涙を流していなかったという事実を考えると、
やっぱり、小説を読んだ後で見る映画ではないのだろう。

えっと、「永遠の0」。
映画はいい映画だと思うし、小説はほんとにいい小説だと思っています。(ほんとです)

小説の「永遠の0」を読んで、感動した人には、ぜひ、
「散るぞ悲しき」と「戦艦大和ノ最期」を読んでほしい。
ノンフィクションのもつ力の大きさを感じることだと思う。

シェルブールの雨傘 [映画]

名前だけ聞いたことのあった映画が上映される、とのことで、深く考えず見に行った。

台詞がすべてミュージカル形式ということで、最初とても違和感が。しかし、それも時機に慣れてきた。

話の内容はというと、(おなかの大きなお嬢さん(もちろん、自分の子ではない)をお嫁さんにする殊勝な旦那さんをのぞけば)どこにでもありそうな、誰もが経験しそうなお話。だからこそ、みんなの心の残る映画になったのかもしれない。

その中でも、やはり最後の再会のシーンは心に残る。

ガソリンスタンドで出会って、少し話した後、あっさりと別れる二人。
「幸せ?」と聞かれて「幸せだよ」と答える二人の心の中を思うと、胸がせつなくなった。

実は、題名から、てっきり、「雨の中、雨傘をさしながら黙って道をすれ違うのかな」と想像していた。

90分あまりの映画。1964年公開だったそうだ。
見に行ってよかった。

清洲会議 [映画]

役所広司演じる柴田勝家も愛すべきキャラクターに仕上がっており、好感がもてるが、
やっぱり大泉洋演じる羽柴秀吉が魅力的。
大泉さん自身が、
「最初、変な役だと思うだろうが、だんだんかっこよく思えてくる・・・と自分では思っている」
と語っていたが、まさにその通りだった。

さすが三谷幸喜と言ってしまえば、その通りなのだが、
自分にとっては「笑いの大学」を見たときくらいの肩すかしをくらわされた感じ。

三谷さんは監督としても、もうけっこう映画を撮っていると思うが、
私にとっては未だに「ラヂオの時間」を越えるものがない。

BEATCHILD [映画]

甲本ヒロトかっこいい。
大友康平もかっこいい。
圧巻は尾崎豊の「シェリー」。
終了は平日の深夜というのに、客の多かったこと。
当然なのだろうけれど、当時、若者!!くらいの人が多かった。

映画最後の「大丈夫か」の連呼と音楽(ウラニーノ?)は最悪だったけれど・・・
(演出のセンスのなさ?)

見に行ってよかった、と心から思いました。

尾崎豊をはじめ、スタッフや観客の中にも、すでにもういなくなってしまった人もいるのかもしれないが、
それでも、こうして、「何か」(別に映像とかでなくって)が残っているということは、すごいことだなあ、としみじみ。

実際のBEATCHILD見に行った人の感想。いいです。
http://beatchild.jp/special/read
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陽だまりの彼女 [映画]

葵わかながかわいかった。
上野樹里もかわいかった。
けっこうこの映画好きだった。
水族館の魚を見ての一言や海で助けた時に「恋に落ちた」という表現を使っていて、最後がわかってしまうが、それでも、(まさか、そんな話・・・?)と楽しく見れた。
上野樹里は不思議で魅力的な女性ですね。
この映画を見て、結婚したいと思う人は多いかもしれない。
感動というのとはちょっと違うがあたたかな気持ちで見ることができる映画。
また、最後の終わり方もとてもよかった。
(とてもいい映画だったのに、最後に(一見同じようだけど)台無しのシーンを入れた「鍵泥棒のメソッド」と対照的)
タグ:猫の恩返し

謎解きはディナーのあとで [映画]

よくできた映画。
おもしろかった!

途中で犯人がわかるが(というか、想像がつくが)、それ以外の事実は
ほんとにうまく小出しに印象的なシーンを残してあって、感心。

丁寧な脚本で、また、演技をする人の豪華さもすごい。
その豪華さを無駄にせず、うまくまとめあげている監督の手腕はすばらしい。

櫻井翔、北川景子、椎名桔平の3人は、このドラマでは欠かせない存在だが、
他にも、中村雅俊、宮沢りえ、要潤、甲本雅裕、生瀬勝久、竹中直人、鹿賀丈史、伊東四朗、団時郎
という面々。ヒロインの桜庭ななみもかわいかったし・・・。

ラッフルズホテルの中庭のロケーションもすばらしかったし、宮沢りえの意外な演技や
二人の最後のどんでん返し(?)の船の舳先のシーンもよかったし・・・

Kライオンの扱いの軽さや団時朗の悪役のはまり具合といい、いやー、よかった。

つい、最後、伊東四朗はどうなってしまうんだろうという心配も残しつつ、
まあ、ほんとによくできた映画だった。

ただひとつ。最近とっても気になっていること。
この映画に限ってのことではないが、(前回見た「真夏の方程式」でも)
殺人を犯した側に、同情すべき点を見いだして、殺人を正当化している。
この傾向の映画を見る度にとっても気になるところ。
じゃあ、理由があれば殺人を犯していいのか、と。

まあ、そんなことは気にせず見るべき映画なのだとは思うのだが・・・

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真夏の方程式 [映画]

映画「真夏の方程式」を見た。
とても後味の悪い映画だった。

最後に駅舎で少年と湯川が話すシーンがあるが、
仮にも数学をきちんと学んでいるはずの物理学者が「問題には必ず答えがある」なんていうはずがない。

以前、「さいえんす?」という東野さんの本を読んだことがあるが、けっこうおもしろかった。
そんな東野さんが、そんなとんでもない言葉を科学者である湯川に語らせるわけがないでしょう。やっぱり。
とすれば、この言葉は映画の脚本家が勝手につけたした言葉なのか。

「容疑者Xの献身」はとってもよかったので、同じ監督(脚本家?)の作品であることが信じられない。

映画の感想を読むと、最後の駅舎のシーンがよかった、というコメントも多かったが、
そもそも「問題には必ず答えがある」なんていう間違った前提から導き出される言葉に真実があるはずがない。

そもそも後味の悪い映画であったが、それ以上に、最後にとても違和感のある言葉が印象に残る映画だった。
というか、何が「方程式」だったの?

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