うめぼし(池田ソメ) [詩]

そりゃ あの時や ナンデガンスヨ
茶の間のガラス戸棚といっしょに
ころげたんでガンス
ガラガラ ガラガラ揺れる拍子に
屋根の上へ ずり出たんでガンス
ずりでる言うても 出られぁしまへんけ
出して貰うたんですよね まあ
神さんか仏さんかに

やれ難儀ややれ痛や
早う息が切れりゃ
参らせてもらえるんじゃにと
梅干を口に入れて貰うたんは
三日目の朝でガンシタ
「この婆さんは 死んでしもうたか
かわいそうに
南無アミダ 南無アミダ」
と わしの顔を撫でんさった
「生きとる 生きとる」言うたら
大きな梅干を
わしの口へ呉れんさった

梅干言うもんは ええもんでガンス
その梅干のおかげでガンシタ
わしは 元気が出ましてなあ

「蛙の死」と「旅よりある女に贈る」 [詩]

この2つの詩が同じ「月に吠える」に入っているのは
どうにも信じがたい。

「蛙の死」を読むたびに、その「ぶきみさ」にぞっとする。
そして、なぜかツェッペリンの「移民の歌」を思い出してしまう。
そのどちらも、はじめて聞いたとき(読んだとき)の衝撃は表現できない。
あの異様な雰囲気は、とてもこわいのだが、なにか惹かれる。

以前、山登りをしていた。
で、「旅よりある女に贈る」は心にしみた。

くりかえすが、この2つの作品が同じ作家から生まれたものとはとうてい信じがたい。
しかも同じ作品集の中にあるなんて。

しかし、どちらもとても好きな詩のひとつである。

山に登る 旅よりある女に贈る(萩原朔太郎 「月に吠える」より) [詩]

山に登る
旅よりある女に贈る

山の山頂にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口にあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

蛙の死(萩原朔太郎 「月に吠える」より) [詩]

蛙の死

蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。

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